大分県内ニュース
地域密着!郷土のニュースとスポーツ

「連れ帰ってあげたい」 祖国へ㊤

 戦後73年。大分市小野鶴南の戦没者遺児、佐藤富彦さん(76)が日本軍兵士の遺骨収集に取り組んでいる。活動しているのは、父が命を落とした南太平洋の島。「大勢の若者が国のために死んだ。一人でも多く、祖国に連れて帰ってあげたい」。2年前から国の収集・慰霊事業に参加し、異国に取り残された亡きがらを拾い集めている。

 日本から南方へ約5千キロ。熱帯雨林が広がるパプアニューギニアのブーゲンビル島は、飛行機とボートを乗り継いで2日がかりで到着する。
 四国の半分ほど(約9300平方キロメートル)の島は日米の激戦地だった。戦争初期は日本が占領していたが、度重なる米軍の攻撃で戦況は悪化。飢えや病に苦しみ、日本軍計3万3千人が犠牲になった。
 佐藤さんは7月21日~8月9日の20日間、日本戦没者遺骨収集推進協会(東京都)の活動に加わった。現地に赴くのは2016年以降3回目。県遺族連合会によると、県内からはこの10年でただ一人の参加という。

証言など手掛かり
 今回は遺族や協会職員の計6人が派遣された。
 遺骨は日本軍の塹壕(ざんごう)跡などに多く、地中2メートルほどに眠っている。戦争に勝った連合国(米英など)が遺体の腐敗を防ぐため、壕を安置場所にして積み重ねていったとみられる。
 捜索は軍の記録や現地住民の証言を手掛かりに進める。「どこに埋めたのか」「この辺だろう」。協会が雇った住民らと一緒にスコップで掘っていくと、骨のかけらが現れる。
 既に土に返った部分も多い。足の大腿(だいたい)骨や脛骨(けいこつ)といった太い部位は形を残しているという。
 大腿骨2本で1人分を示す「1柱」と数える。
 「1カ所から20柱近く出ることもある。まとめて埋めたのだろう。ヘルメットや飯ごうといった装備品も一緒に見つかる」と協会の担当者。柱数にカウントできないような細かい骨も全て回収する。

150柱掘り出す
 佐藤さんは、はけで土を払う「洗骨(せんこつ)」を担当した。風化の著しい骨は手にした瞬間、崩れ落ちることもある。
 敗戦からの歳月を痛感し、やるせない思いが頭をよぎる。「無念の思いを抱えて死んでいった若者たちだ。ようやく日本に帰してやれると思うと、最初は涙があふれて作業ができんかった」
 今回は約150柱を掘り出した。毎年3月にまとめて日本に持ち帰るため、それまでは現地に保管する。帰還後は厚生労働省に引き渡し、大半が身元不明のため千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都)に納める。
 ブーゲンビル島は、これまでに約1万柱の収容を終えた。遺骨はまだ2万3千人分あるとされる。
 「あと数十年たてば、ほとんどの骨が土に返るだろう。今のうちにやれることをやっておかねば」
 佐藤さんは語る。
※この記事は、9月13日大分合同新聞朝刊23ページに掲載されています。
OPENCLOSE

速報ニュース

ニュースアクセスランキング 11時11分集計

ランキング一覧を見る

大分合同新聞ニュース絞り込み検索
記事の絞り込み検索が可能になりました!

期間選択
ジャンル選択
記事種別選択

大分県の天気

PM2.5情報
大分県の測定データ大分市の測定データ
大分合同福祉事業団
インターネットによる募金「かぼす募金」を受け付けています
ぶんぶん写真館
記者やカメラマンが撮影した写真を閲覧・購入できます。
大分合同新聞
販売店検索はこちら
お近くの販売店を今すぐ検索!
HELLO KITTY×大分合同新聞
おともだちカード
「大分合同新聞 HELLO KITTY」が大切なあなたの気持ちをお届けします。

全てのお知らせを見る

電子書籍のご案内

ページ上部へ戻る