平成30年度 大分合同新聞納涼花火シリーズ

津久見会場 7月15日(日) 20:00スタート!詳細はこちら

エンタメニュース
気になる芸能ニュースをチェック!

46歳で証券マンから転身 「スター・ウォーズをつくっている人」になるまで

 公開から2週連続映画動員ランキングで1位を獲得した「スター・ウォーズ」最新作『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(上映中)。シリーズ屈指の人気キャラクター「ハン・ソロ」が、ルークとレイアに出会う前、若きハン・ソロの知られざる過去を描いた作品だ。「同時に『銀河最速のガラクタ』と呼ばれるようになったミレニアム・ファルコン号の歴史も明らかになります」。そう語るのは、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)の成田昌隆さん(55)。2015年公開の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で4人のCGモデラーの一人に抜てきされてから、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16年)、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(17年)、そして『ハン・ソロ』の制作に参加。中学生の時にいだいた夢を実現させた。

【写真で振り返る】成田昌隆さんの半生

■模型からCGへ 受け継がれるDNA

 ミレニアム・ファルコン号は、「スター・ウォーズ」シリーズの中で最も有名な宇宙船。シリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977年)に、伝説の運び屋ハン・ソロとその相棒のチューバッカの“愛機”として初登場した。ランド・カルリジアンが所有していたものを、サバック(カードゲーム)に勝ってハン・ソロが手に入れていたことは、旧3部作(『エピソード4』~『エピソード6』)の中で語られていた。

 『エピソード4』より10年ほど前の話である『ハン・ソロ』では、ミレニアム・ファルコン号と出会ってから手に入れるまでが、知られざる冒険とともに描かれる。「銀河最速のガラクタ」とは真逆の「銀河一美しい流線型」をした真新しいミレニアム・ファルコン号の雄姿も『ハン・ソロ』の見どころの一つだ。

 旧3部作が制作された当時(1977~83年)は、ミレニアム・ファルコン号の模型(1メートル以上の大きなものだった)を作って撮影し、背景などを合成して映像を作っていた。それから約30年が経ち、『フォースの覚醒』で再び「スター・ウォーズ」映画に登場した時から、成田さんたちがモデリングしたCGのミレニアム・ファルコン号が銀河を疾走していた。

 「スター・ウォーズ」の制作現場は完全に分業化されており、成田さんが担当する「CGモデリング」は、2Dのコンセプト画やデザイン画をもとに、コンピュータ上の仮想空間で立体物を形成するまでが仕事(色や質感を付けるアーティストは別にいる)。旧3部作のコンセプト・アーティスト、ラルフ・マッカーリーが描いたミレニアム・ファルコン号のコンセプト画をベースに、アートディレクターのジェームズ・クラインがデザインしたものを、成田さんがコンピュータで立体化。監督の意向をもとにスーパーバイザーとディスカッションを重ねながら、最終的なルック&フィール(見栄えと雰囲気)を作り上げていった。

 「今回のミレニアム・ファルコン号はこれまで手掛けた中で、一番複雑なモデルでした。のべ120日、のべ5万パーツからなっています」と成田さん。モデリングでポイントになったのは、旧3部作の撮影に使われたミレニアム・ファルコン号の模型を作る時に用いられた、“キットバッシング”。市販のプラモデル(戦車や船、自動車など)の部品を取り入れながら誰も見たことがないモデルを作り上げる手法で、当時、日本製プラモデルのパーツも使われていた。

 成田さんによれば「市販パーツのチョイスやコンビネーションが絶妙で、スター・ウォーズらしい格好良さが醸し出されていました。そのことを理解していないと、スター・ウォーズのDNAは受け継げないと思いました。CGでつくる上でも、ほかで使われていそうな部品、例えば戦艦大和を参考にして作ったパーツなどを、キットバッシングしたかのように配置していきました」と明かす。

■やりたいことがあるなら、とことんやってみるのがいい

 1963年生まれの成田さんは、小さい頃からプラモデルづくりと、特撮を駆使した「ゴジラ」や「ウルトラマン」などの作品に夢中だった。78年、日本で初めて公開された『スター・ウォーズ』を見て、大きな衝撃を受ける。「あれ?(ピアノ)線がない!」「なんで宇宙船に乗っているように見えるんだ?」、と。ハリウッド映画への憧れ、映画づくりに携わりたいという思いが、押しては引いて、寄せては返す波のように、ずっと成田さんの心を揺らすことになる。

 しかし、「80年代はまだハリウッド映画に関わる仕事に就くこと自体が非現実的な時代でした」と、成田さん。大学卒業後、電機メーカーを経て、大手証券会社に就職。サラリーマンとしてそれなりに充実した日々を送る中、物理的にハリウッドに近づくチャンスが訪れる。1993年、米国支社への転勤が決まったのだ。そして、95年に公開された世界初の全編CGの長編アニメーション映画『トイ・ストーリー』を観て、また衝撃を受ける。

 「IT部門で仕事をしていたので、同じコンピュータを使って、あんなにすばらしい映画を作れるなんて、なんだか悔しいって思ったんですよね。少年の頃、映画関係の仕事に就きたかったという夢がまたむくむくと湧いてきました」。

 3Dソフトウェアを購入し、3年間にわたって、勤務時間後と週末の休みを独学によるスキルの習得に費し、大手プロダクションの目にとまるところまで漕ぎ着いたが、就労ビザが下りず、また父親の他界も重なり、99年CGアーティストの夢をあきらめることになる。その後は趣味のプラモデルの制作に熱を注ぎ、2004年に行われた全米模型コンテストでは見事優勝している。

 そしてまた時代が変わった。08年、証券不況による海外事業縮小を機に、帰国するくらいなら、アメリカにとどまって、映画の世界で自らの可能性を試してみようと決断。「映画の世界で何ができるかというのを突き詰めた結果、CGしかできることはない」と、専門学校で視覚効果の技術を学び直すことに。1年後、46歳でパンフレット用に車のCGを作る小さな製作会社でモデラーとしてプロデビューを果たす。翌10年に、リメイク版『エルム街の悪夢』で主人公フレディ・クルーガーのリード・モデラーを担当するというビッグチャンスを掴み、そこでの仕事ぶりが評価され、CMや映画のモデラーとして活躍の場を次々と得ていった。

 46歳で転職し、夢を実現させた成田さん。座右の銘にしている言葉は、「誰かが作った道を歩くのではなく、自分の進むべき道は自分で切り開く。何をするにも遅すぎることはないと思うし、何歳になってもやりたいことがあるなら、とことんやってみるのがいいと思っています。まっすぐ行ってダメだめなら、違う方向から行く道はないかを探す。あきらめないことも大事。その時々に自分ができることを精一杯やっていけば、道は開けると思います」。

 コンピュータで作業中、欠かせないのが音楽。『フォースの覚醒』の時は「Perfumeを聴いていました(笑)。あのノリが作業をはかどらせてくれました」。成田さん実はPerfumeの結構なファンなのだそう。『ハン・ソロ』では、『スター・ウォーズ』のサウンドトラックでイメージを膨らませていたそう。モチベーションアップには、映画『ロッキー』のテーマ「Gonna Fly Now」がテッパン。「中学、高校と陸上をやっていた時も、あの曲を聴きながらトレーニングをやっていましたし、証券会社を辞めた後、ランニングを日課にしていたんですけど、ロッキーの曲を聴きながら、いつかILMに入ってやるぞ、って自分を鼓舞しながら走っていました」。

関連記事

OPENCLOSE

速報ニュース

ニュースアクセスランキング 8時11分集計

ランキング一覧を見る

大分合同新聞ニュース絞り込み検索
記事の絞り込み検索が可能になりました!

期間選択
ジャンル選択
記事種別選択

大分県の天気

PM2.5情報
大分県の測定データ大分市の測定データ
大分合同福祉事業団
インターネットによる募金「かぼす募金」を受け付けています
ぶんぶん写真館
記者やカメラマンが撮影した写真を閲覧・購入できます。
大分合同新聞
販売店検索はこちら
お近くの販売店を今すぐ検索!
HELLO KITTY×大分合同新聞
おともだちカード
「大分合同新聞 HELLO KITTY」が大切なあなたの気持ちをお届けします。

全てのお知らせを見る

電子書籍のご案内

ページ上部へ戻る